ルートスフィア
ゆいこんぬ
ルートスフィア 歌詞
見慣(みな)れたその景色(けしき)を
若將司空見慣的景色
シャッターの中(なか)に閉(と)じ込(こ)めたら
一味地存到快門之中的話
ぼやけてるんだ
就會變得模糊
かすんでるんだ
而朦朧
まるでピントが合(あ)ってなくてさ
就像是沒有對焦
僅是為了寫要上交的作文而
作文(さくぶん)を書(か)き上(あ)げるためだけに
編造出來的夢想什麼的
持(も)たされた夢(ゆめ)なんて
會在不經意間泛起皺紋
いつの間(あいだ)にやらクシャクシャになって
上面的文字也變得無法看清
滲(にじ)んで文字(もじ)も読(よ)めやしない
總是一味放下身段
擅長的盡是些無風險的事
自分(じぶん)を下(さ)げる
總是為了不跌倒而選擇去做那些已經被人料理好的事
保険(ほけん)をかけることばっかり上手(うま)くなってさ
到現在才知道地圖
転(ころ)ばないように整(ととの)えられたとこばっか選(えら)んでた
似乎已經在某個地方丟失了
那是我總是一味在遵循著的
今更気付(いまさらきづ)いたけど地図(ちず)は
前人所寫好的、被視為正確的路徑
とうに失(な)くしてしまってたみたいだ
看吧!即使著那樣的嚮導沒有了
言(い)われるがまま書(か)き寫(うつ)した
路徑已經被自己選好了,不是嗎?
正(ただ)しいとされるレール
拿出自信,向前邁步吧!
ほら!そんな指針(ししん)なんてなくても、
好,最初的一步,要走向哪呢?
道(みち)は自分(じぶん)で選(えら)べてたんだよ?
..music..
自信(じしん)を持(も)って歩(ある)こう!
試著對已經司空見慣的景色聚焦
さあ、最初(さいしょ)の一歩(いっぽ)。何(なに)しに行(い)こう?
卻發現彷彿有些褪色了呢
即使失去了地圖
..music..
即使變得找不到近路
吶,這不也挺好啊
見慣(みな)れたはずの景色(けしき)にピント合(あ)って焦(あせ)
所謂最近的路反正不也就是在某處的誰
色(いろ)づいて見(み)えるよ
選擇的路徑嗎
地図(ちず)を失(な)くして
某些時候說不定也可能是一條遠路呢
近道(ちかみち)はもう分(わ)からなくなったけれど
你與明天的你的距離
永遠都是個未知數
ねぇ、それでいいんだ
但是,這因為如此才有趣不是嘛?
最短距離(さいたんきょり)もどうせどこかの誰かにさ、
邁出重要的一步吧
とってのもので
大人教給我們的東西未必總是正確的
時(とき)には回(まわ)り道(みち)かもしれないし
這樣教育我們的也僅僅是“大人”罷了,所以
只是在別人彎下的背上敷衍地推一把
明日(あした)のキミへの道(みち)のりは何(なに)も
就滿足地離開的人們
何一(なにひと)つ決(き)まってないから
到頭來才發現自己也已經找不到路了
でも、だからこそ楽(たの)しいんだろう?
你與明天的你的距離
大事(だいじ)な一歩(いっぽ)にしよう
永遠都是個未知數
大人(おとな)がいつも正(ただ)しいことだけを教(おし)えるとは限(かぎ)らないって
但是,這因為如此才有趣不是嘛?
そう教(おし)えてくれたのもまた大人(おとな)で、だから
邁出重要的一步吧
被給予的地圖之類的東西,即使沒有了
ただ俯(うつむ)いていた背中(せなか)を
未來靠你的雙手也能去開拓的喲
粗雑(そざつ)に押(お)しただけで満足(まんぞく)そうに
不是“明天來”
去(さ)っていった人達(ひとたち)にもう道(みち)は尋(たず)ねない
而是“自己去”
好了,走向你自己的選擇的道路吧!
明日(あした)のキミへの道(みち)のりは何(なに)も
何一(なにひと)つ決(き)まってないから
でも、だからこそ楽(たの)しいんだろう?
大事(だいじ)な一歩(いっぽ)にしよう
與(あた)えられた地図(ちず)なんてなくても
未來(みらい)はその手(て)でも切(き)り拓(ひら)けるんだよ
“明日(あした)が來(く)る”んじゃなくてさ、
“自分(じぶん)が行(ゆ)く”んだ
ほら、自由意思(じゆういし)で選(えら)ぶ未知(みち)へ!